オーストリアとハンガリーに分割しても

オーストリアではドイツ人35.6%、ハンガリーではマジャル人48.1%という具合に、ドイツ人とマジャル人はそれぞれの国内で過半数を占めていなかった。そこでハンガリー政府はクロアチア人と妥協して協力を得ることで過半数に達した。そのような中でハンガリーは国内の「マジャル化」を推し進めたのだった。一方オーストリアでは、新憲法で「民族平等」を謳ったが、ドイツ人の反発とハンガリー政府からの要請があり、ポーランド人と協力して憲法を廃案に追い込み、ポーランド人と妥協することで支配的地位を保とうとした。その後も民族の自治獲得の動きは鎮静化せず、むしろいっそう激化し始めた。工業を握るボヘミア(チェコ人)人の発言力が増し、資本家が多いユダヤ人もまた発言力を増した。地位を保持しようとするドイツ人と、権利を得ようとする他民族との対立が目立ち始めることとなった。ハンガリーでも、マジャル化に反して民族の自治・権利を獲得しようとする動きが高揚してきていた。しかしこの時点では、どの民族も「帝国からの独立」を望んではいなかった。
update:2009年09月11日